鎌田實 は医師で作家,プロフィールや経歴は?著書は?海外の支援活動も。『人生レシピ』

サワコの朝
http://greifen.jp/




医師で作家の鎌田實さんが『明日も晴れ 人生レシピ』に登場です。

鎌田實さんの プロフィールや経歴は?著書は?

鎌田實さんはたくさんの社会貢献を行われていて、とても真似のできない素晴らしい方です。

数々の賞も受賞されていらっしゃいます。

鎌田實さんは『にもかかわらず』という言葉をとても大事にされていらっしゃるとか。

そんな素晴らしい鎌田實さん、番組ではどういった一面がみれるのでしょうか?

今回は鎌田實さんについて、みていきたいと思います。

では早速。

スポンサードリンク
 

鎌田實さんのプロフィール

 

http://www.kamataminoru.com/

名前:鎌田實 かまたみのる

生年月日: 1948 年 6 月 28 日(昭和23年生まれ)

出身地:東京都杉並区出身

結婚:幼なじみで一つ年下の、さと子さんと学生結婚

学歴:東京都立西高等学校卒業 東京医科歯科大学医学部卒業

現在: 諏訪中央病院名誉院長、日本チェルノブイリ連帯基金(JCF )理事長、 日本・イラク・メディカルネット(JIM-NET )代表、 地域包括ケア研究所所長、 まちだ丘の上病院名誉院長、 東京医科歯科大学臨床教授、 東海大学医学部客員教授、ピースボート水先案内人

医師であり、作家

 

鎌田實さんは一才で養子に出されています。

 

育ててくれたお父様は青森県から上京し個人タクシー業を営まれていて、お母様は病弱であったとのことです。

 

そんな家庭環境の中で育てられた鎌田實さんですから、ご両親の大変さや、人を気遣う優しさなど幼少期の頃から自然と身についていらっしゃったのかもしれません。

 

育ててくれたご両親は、鎌田實さんが37歳の時にパスポートを取得する時まで養子であることは鎌田實さんご自身には伏せていたとのことです。

 

伏せていたというか、もう本当に自分の子であったのではないでしょうか。

 

血は繋がっておらず、遺伝子は違うにしても長い時間を共に生活し、育て上げられたのですから。。素敵なご両親に引き取られたんですね。

 

生みのご両親については鎌田實さんは、

『終戦5年目の1950年に生みの親が捨てた1歳のぼくを、亡き父、岩次郎がもらってくれた』

と話されています。

 

実のご両親が育てられなくなり、手放されたようで、引き取り育てたのが、岩次郎さん・ふみさん夫婦でした。

 

次はお父様の岩次郎さんについて、みてみます。

 

スポンサードリンク
 

鎌田實さんの育ての父親、岩二郎とは

 

『すごい父に拾われた』 と題して新聞に記載されていた時の内容です。

お父様のことが書かれています。

割愛して書かせていただきます。

 

37歳の諏訪中央病院で副院長をされていた時にこのことを知ったようです、「自分は拾われた子供だ」と。

 

お父様の岩次郎さんは青森県花巻市(現・黒岩市)で貧農の末っ子として生まれていて、小学校しか出ていません。

 

18歳で上京して、公営バスなどの運転手で生計を立てられていたようです。

 

そしてバスの車掌をされていたお母様ふみ様と結婚しますが、新居は六畳二間と3畳、お風呂もない暮らしであったようです。

 

そんな慎ましい生活の中で鎌田實さんは育てられたようです。

 

そして鎌田実さんが小学校に上がる前お母様が僧坊弁狭窄症(そうぼうべんきょうさくしょう)という心臓病を患わってしまい、入退院を繰り返すこととなります。

 

鎌田實さんのご家庭のように貧しい人が高度医療を受けるのはとても困難なことでした。

 

国民皆保険が 存在するのは鎌田実さんが中学生になることだったようです(61年のことです)し、その当時は高額療養制度もなかっとのことです。

 

お父さんは岩次郎さんは朝8時から夜遅くまで1日15時間も働かれたようです。

本当に大変だったことと思います。

 

そして切り詰めて働いても働いてもお母様の医療費に消えてしまう。

でも文句の一つも言わない。

 

疲れてきって帰って夕食を作れないときはよく鎌田實さんと近くの定食屋にいきます。

 

鎌田實さんはいつも一番安い野菜炒めを選ばれていたようです。

 

頑固で無口ででも口が大きくてシャントしていた岩次郎さん。

 

上京した東京の学生を狭い家に置いてあげたりもしていたようです。

 

運動会の徒競走や試験で一番になっても、岩次郎さんは決して褒めませんでした。

 

叱られて、叱られて、鎌田實さんは育ったようです。

 

パスポートを申請する際、戸籍を見て両親が実の父と母じゃないと知りました。

(でも、その後も気づいていないふりをしました。)

 

血の繋がっていない岩次郎さんが育ててくれ貧しい暮らしの中で拾ってやったとか、恩義せがましいことは一切口にせず、仕事も文句も言わず弱音も吐かず岩次郎さんは苦難から逃げませんでした。

 

苦しみを横に置いて、誰かのために生きようとして頑張って頑張って最後は個人タクシーの運転手を70歳になるぐらいまで務めあげられたようです。

 

すごい人に拾われたと思いますと、鎌田實さんはおっしゃいます。

 

鎌田實さんの内側でどんどん大きくなっていくんですと。

 

もう、涙が出てきますね。

素敵な親子関係です。

 

だから、やはり、鎌田實さんのような素晴らしい人格者になられるのでしょうね。

 

鎌田實さんは父親のことを理解できるようになったのは、父親が亡くなってからだと話されていらっしゃいます。

 

本当に、感動いたしました。

 

参考:https://blogs.yahoo.co.jp/success0965/18774067.html

スポンサードリンク
 

鎌田實さんの医師になるきっかけや経歴は?

 

https://president.jp/

 

鎌田實さんが医師を志したきっかけというのは、世界を見たいと純粋に思ったからだそうです。

 

鎌田實さんの幼少の頃というのは家がとても貧しかったので、どこにも連れ出してもらえなかったとのことです。

 

理由はお母様が重い心臓病を患っていて、お父様が必死に働きましたがその稼ぎは治療費に全て消えてしまう状況であったとのことだからです。

 

ですから鎌田實さんは学校の図書館でたくさん本を読んだとおっしゃっています。

 

そして鎌田實さんの頭の中はいつも世界に飛び出していたとのことです。

 

『今は同級生の誰にもどこにも自分は行けないけれど大人になったら誰よりもどこにでも行けるようになりたい』と夢を描いていたようです。

 

そして貧しい環境から抜け出し、誰かの役に立ちながらひょっとしたら世界を見られるかもしれない!そういった思いが鎌田實さんの医学部への進学を志した理由であったとのことです。

 

お父様はとても反対されて、勉強なんかしなくていいんだ、誠実にいきていれば生活は出来るのだから、無理はしなくていい、と。

 

お父様のことは大変尊敬されていらっしゃったようですが、

『自分の人生が違う、自分自身で築き上げたい』

そう強く思われ勉強を重ねていかれたとのことです。

 

素晴らしいです。

 

医科歯科大学医学部の時には全共闘に参加されています。

 

卒業後には長野県萱野市の諏訪中央病院医師として、潰れかけていたこの病院を建て直し、住民とともにつくる地域医療の最前線に取り組まれ、長野県を長寿で医療費の安い地域へと導かれています。

 

その当時を、鎌田實さんはこう話されています。

 

長野県は秋田県に次いで、全国で2番目に脳卒中が多い県でした。なかでも病院のあった茅野市は、県内で脳卒中による死亡率が一番高かった。僕は赴任後、自分がこの地域の住民だったら、新しくやって来た医師に何をして欲しいかと考えました。当時の脳卒中は今よりも、命は助かっても半身麻痺などの障害が残ることが多かった。ならば、僕が住民だったら、脳卒中にならないようにしてもらった方がいいのではないかと思ったのです。そこで、年間80回、仕事が終わった後に地域の公民館を回って、脳卒中を予防するための食生活改善指導や健康学習会を行いました。医師と住民が一緒になり、地域全体で病気に対処する地域医療を実践したのです。結果、長野県の平均寿命は日本一となりました。

 

1988年に委員長就任著者の『がんばらない』はテレビドラマとしても放映されています。(西田敏行主演)

スポンサードリンク

鎌田實さんの海外での支援活動

 

 

相手の身になって考える、誰かの役に立つという鎌田實さんの基本スタンスは、同じで、チェルノブイリ原発事故の被災地であるベラルーシ共和国で子供たちに向けた支援も、イラクの紛争地帯における支援活動でも同じだとおしゃっています。

 

子供たちは生まれる場所を選べない。子供たちに原発事故や戦争の責任はありません。ならば医師として、自分のできる範囲で助けたいと思ったのです。

 

1991年から22年間も、ベラルーシ共和国の放射能汚染地帯へ、100回を超える医師団を派遣して約14億円の医薬品を支援されていらっしゃいます。(医療機器や医薬品を支援)

そして、2004年にはイラク支援を開始されています。

イスラム国が間近にいる地域で活動を行われ、難民のドクターが難民を診療するシステムを作り出していらっしゃいます。

イラクの4つの小児病院へ毎月300万円の薬を送られ難民キャンプでの診察等をも実施されています。(4億円を超える医療支援)

現在は ISやボコハラム等に迫害される難民の支援も行なっていらっしゃるとのことです。

 

誰に命令されてもこのような活動はしなかったでしょう。僕が自分で決めたことだから、頑張れるのです。

 

素晴らしいですね。

 

https://www.asahi.com/ar

 

また、「病気や障がいがあっても、旅をあきらめない」としてバリアフリーツアーを企画されていて、2004年以降は毎年ボランティアで旅を続けてもいらっしゃいます。

 

スポンサードリンク

鎌田實さんの受賞歴や著書

 

amazon

 

受賞歴

1994年に信濃毎日新聞賞を受賞しています

2009年にはベストファーザーイエローリボン賞

2011年には日本放送協会放送文化賞を受賞されています

 

主な著書

ベストセラー「がんばらない」

「雪とパイナップル」 「アハメドくんのいのちのリレー」 「曇り、 ときどき輝く」(集英社)、「ほうれんそうはないています」(ポプラ新書)、 「1%の力」 「イスラム国よ」(河 出書房新社)、「遊行を生きる」(清流出版)

などなど、たくさんの著書があります。

ベストセラー「がんばらない」は西田敏行さん主演でドラマ化もされていらっしゃいます。

スポンサードリンク

最後に

 

https://jisin.jp

 

今回は、医師で作家の鎌田實さんが『明日も晴れ 人生レシピ』に登場されるということで鎌田實さんの プロフィールや経歴などにふれてみました。

 

鎌田實さんの数々の賞はこれまでのたくさんの社会貢献を行われていた証です。

本当にとても真似のできない素晴らしい方です。

 

鎌田實さんの『にもかかわらず』という言葉、番組ではどういった形で聞けるのでしょうか??

 

鎌田實さんのような誠実な方の生き方を知ることや、それこそ本当に今この時点での活動であって、今行動されていることなんだといったことに触れると、自分自身も誠実に生きることへの大切さというか、明日からのほんの少しの日常の心持ちや活動が変わったりもします。

 

感動しました。

 

誰かに感動される人生を送れる方というのは誰かを助ける方なのだな、と、鎌田實さんを心から尊敬いたします。

 

『明日も晴れ 人生レシピ』楽しみにみたいと思います!

今回も、最後までご覧いただきありがとうございます!

スポンサードリンク

コメント